虚像を追う
『将来自分が成し遂げたいことは?』
こんな質問、小学校の卒業と就職活動でしか問われない。
だけど、全く成し遂げたい目標がなかったとしても形にすることが求められる。
そんな存在もしない目標を否定され、詰められ、修正される。
挙句、その尤もらしく作り上げられた”虚像”を真実として取り扱われる。
取り扱う側も取り扱われる側も”虚像”と分かっているのかもしれない。
分かっていてなおリアルとして扱うのである。
その姿は一種の舞台を見ているようである。
では私たちは何を追えばいいのか。
自分の中に正像があるならば、それを追えばよい。
問題は正像が^ ^ない場合である。
それに対しての私の回答は「追わなくてよい」だ。
ないと分かっているだけでも、虚像を虚像として気付いていない人に比べたら一歩先に行っている。
ないなら、とりあえず好き方向に歩けばいい。
いつか正像を見つけられるかもしれないから、とりま歩けばいいんじゃないか。