言葉にすればいいってもんじゃない
なんか言葉すると分かった気になる。
いや本当に分かっている時もあるんだけど、分かった気になるのがほとんどだ。
「あの人ってさぁ、やっぱ短気だからさぁ」
「あの人の作品って、ストーリーとかじゃなくて魅せる作品だからさぁ」
そんなコメントを見たり、口にすると分かった気になる。ある種の分類に入れてしまった途端に新鮮味を失い、もっと深掘って聞いてみようという意欲がなくなる。
「分かる」とは「分けること」であり、この情報が溢れかえった時代に情報を処理する、つまり「分ける」ことは頭の中のCPUを守るためにも必要な力だ。
ただそれは自分を情報の波から守るための話であって、自分が波を作る側だったらどうだろうか。つまり情報を、コンテンツを発信する側だったら分かった気で、広く浅く情報を処理していていいのだろうか。
作品のメッセージも人の本質も知らず、自分の中で何もメッセージがない人が、人々に刺さるコンテンツを発信できるのだろうか。
そんなことはないんだろう。表現したい何かがあって、言語化できないけど何故か伝わる。一度や二度では「分けられない」何かがあって、人を感動させたり、動かしたりする。
その作品やその人の本質があって、人を感動させることができる。自分の中に「核」といわれるものがない人に何も伝わるものはない。伝わるのは中身のない情報だけだ。
自分の中の「核」を見つけるためには、時間が必要で、それも1つのことに集中して初めて少しずつ形を帯びてくる。広く浅くやっても何も出てこない。本質を見つけるまで、時間をかけ途中で挫折しそうになりながら見つけるものだ。